四万十のクモ相撲、ルーツはフィリピン? 学会誌で考察

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2011年1月12日
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2010年の「全日本女郎ぐも相撲大会」=四万十市の一條神社
四万十市の一條神社境内で毎夏に開かれている「全日本女郎ぐも相撲大会」が、日本蜘蛛学会(本部・大阪府茨木市)の学会誌(昨年12月発行)に掲載され た。奈良県三郷町の同学会員、関根幹夫さんが「フィリピンのクモ相撲の現況」のタイトルで報告書を寄稿。クモ相撲が海流に沿う東アジアの漁民の交易で伝 わった可能性を指摘している。
関根さんは2005年8月に一條神社を訪れ、女郎ぐも相撲大会を調査した。クモの種はコガネグモで、ジョロウグモは方言と説明。2匹のクモを闘わせる土 俵となる横棒は現在、支柱の縦棒に固定されているが、過去の写真では行司が手で持っており、横棒を手持ちから支柱に固定する方式に変化したと推察した。
一條神社の川村公彦宮司によると、四万十市のクモ相撲は1950年に「小京都らしい遊び」として始まった。当初は市役所西側の広場で「土佐蜘蛛(くも) 合戦」などとして開催されてきたが、10年ほど前に同神社境内に神楽舞台が建てられたのを機に会場を移した。関根さんの報告通り、20年ほど前に横棒を手 持ちする方式から縦棒で支える方式になったという。
一方、関根さんが鹿児島県姶良市加治木町で例年6月に開かれているコガネグモの「くも合戦大会」も調べたところ、加治木町では古くから縦棒支柱が使われていた。
フィリピン各地では、コゲチャオニグモやアカアシオニグモなどを手持ちの細い横棒の土俵上で闘わせる。相手のクモに殺されたら負けというルールで、相撲 が終わったら自然に返す日本とは相違点があるが、関根さんは、「クモ相撲」の原型とみる。根拠として、加治木町では、優秀なクモを最初に見つけた者が魚の 数え方に由来する「イッコン」と叫んでクモの採集権を確保する習俗があった点と、クモを収容する入れ物が昔は魚かごだった点を挙げる。
東アジアでは中国と台湾、韓国、タイには現在、クモ相撲の習俗がなく、関根さんはフィリピンのクモ相撲の習俗が日本に交易で伝わった可能性を指摘している。(菊池均)

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