メルボルン事件



3 この事件の問題点
 なぜ、やってもいない人が、有罪判決を受けてしまったのでしょうか。多くの原因が考えられますが、 最も重要なことは、捜査や公判という、刑事手続における、通訳の不十分性です。
 このパンフレットの第1版が出てから後に、大阪で通訳人プロジェクトチームが結成され、とりわけ、警察における取調べでの通訳の不備が明らかになってきています。また、彼らの実際の裁判(公判段階)で、通訳の1人として参加したオーストラリア人のクリス・プールさんは、捜査段階、公判段階を通じて、オーストラリアの通訳体制や運用そのものに、この事件の裁判だけにとどまらない、制度的不備があることを指摘しているのです。

・ 警察における取調では、通訳を介して、警察から彼らに質問がされ、その答えが供述調書として、後の裁判の証拠となっています。ところが、この通訳に多くの不備やミスがありました。
  例えば、まず、空港での聞き取りでは、ツアーガイドとして彼らを迎えに来ていた人物に通訳をさせたりしています。刑事事件の事情を聞くのに、刑事法の知識の全くない人物に通訳をさせているのです。また、その後の連邦警察での取調では、1人の通訳人が、朝9時半ころから、夜の7時ころまで、休憩はあったとしても、実に約9時間にわたる取調の通訳を連続して行っています。通訳という仕事は、大変な注意力や集中力が必要な精神労働であり、9時間も連続的に通訳をさせるのは、通訳人に無理をさせ、正確な通訳は望めません。
  個々の通訳人のミスの例としては、一番大切な、「弁護士を呼ぶことができる。」ということを伝えるときに、通訳が弁護士のことを弁護士と訳せず、「えーと、法律のですね、関係した人に連絡をとりたいですか。」と訳しています。また、無料の法律扶助を意味する「 Lega aid 」について「リーガルエイドという法律に関連した組織がございますけれども、そちらに連絡をとりたければ」というようにしか訳さず、無料で弁護人についてもらえるという、大事な点を説明しませんでした。。
 また、単語の間違いとしては、入国管理局と訳すべき immigration を「移民局」と訳し、聞かれた勝野光男さんが、その質問の意味を理解できなくなっている場面があります。
  さらに、「あなたはそういう話をでっちあげたのか」という質問がされたのに、通訳者が、「でっちあげる」を意味する「 make up 」を、でっちあげと訳せず、「そういうふうなことだというふうに、言っただけですか」と訳してしまったために、浅見喜一郎さんは、「でっちあげたのか」という質問に、いったん「はい。」と答えてしまい、その後、もう一度確認されて、今度は「いいえ」と答えるという混乱が生じました。
  さらにまた、荷物がなくなったレストランでの行動を尋ねる場面で、「レストランを出た後は何をしましたか」や「車の所に戻った時にはどうしましたか」という質問がされた際、通訳人は「レストランを離れるときに、何があったんですか」「車の所に移ったときに何がありましたか」と訳してしまい、それに対する答えが、「何もないです」となり、まるで、供述をわざと拒否しているように聞こえてしまっています。
  以上はほんの1例であり、全体に、間違った訳のために、質問と答えがかみ合わず、取調べが迷路に入り込んでいる場面が多数あったのです。
  このような場面をビデオで見た陪審員はどう思うでしょうか。通訳が間違っていることは、陪審員にわかるはずもありませんから、陪審員が、「勝野さんらは質問にまともに答えていない、おかしい」と誤解してしまっても不思議はありません。
  通訳の欠陥が誤判を招いた大きな要因となっていることは明らかですし、このような取調べを、適正な手続と呼べるはずはありません。

・ さらに通訳は、裁判(公判段階)でも十分ではありませんでした。
  まず、指摘できるのは、5人の被告人に対し、たった1人の通訳しか付けられなかったということです。カウンティ・コート(県裁判所)では3人の通訳が関わっていますが、これは、通訳の1人が、自分が休日をとりたいときに、何らの引継もせず、交代の通訳を依頼しただけであり、法廷にいた通訳はいつも1人だけでした。
  前に述べた、通訳の1人であるクリス・プールさんは、通訳人の能力が低く、制度的にも、それがチェックされる制度になっていないことや、交代で通訳をした3人の通訳人は、互いに情報を交換したり、通訳の内容について話し合ったりする機会が全くなかった、これによって、勝野さんらには、裁判がより一層わかりにくいものになってしまったはずだと語っています。クリスさんは、また、「自分は、できるだけ多くの情報を勝野さんらに伝えようと努力していたが、3人のうちで、最も多く法廷に出ていた通訳人は、英語の長いやりとりを、それよりずっと短い言葉にはしょって通訳をしていた、そのため、勝野さんらは何が裁判で行われているかを良く理解できなかった」と言っています。また、その通訳人は、検察官と親しくして、ニックネームで呼び合うなど、公正さに欠ける点などもあり、勝野さんらは、法廷弁護人に通訳を交代してくれるようお願いしていたのです。
  これは、国際人権自由権規約(B規約)第14条3項f(裁判で使われる言葉がわからないときには、無料で通訳を頼むことができます。)に関わる問題です。

  その他にも、色々な原因や問題点がありますので、主要なものを指摘します。

・ 彼らは、ヘロインが見つかった後、ホテルに連れていかれ、3日間にわたって、警察から、話を聞かれるとともに、電話をしてはいけないとか、部屋から出てはいけないなど、事実上、拘束された状態でした。これは、法的には逮捕されていると言えますが、彼らは、自分たちが逮捕されているとは思っていませんでした。警察は、彼らを利用するために、逮捕するという事実をはっきりと彼らに伝えていなかったのであり、これは、国際人権規約B規約第9条2項(逮捕される人は、どういう罪で、なぜ逮捕されるのかの説明を受ける権利があります。)に明らかに反します。

・ 次に、これも、重要なことですが、言葉の壁等のために、彼らは弁護人と十分な話し合いもできなかったのです。オーストラリアは日本と違い広い国です。弁護士が被告人に会いに行くのも車で数時間もかかるなど、日本ほど簡単でありません。そのため、会いに行く回数は少なくなりますが、それを補うものとして、弁護士と被告人との電話による話し合いが普通に行われています。
  ところが、彼らの場合は、英語ができないので、電話での話し合いは到底無理です。仮に片言の英語でしたとしても、訳が分からなかったと言います。この点が大きなハンディとなったことは間違いなく、防御権の十全な行使はできなかったのです。防御権が行使できなかった裁判は、公正なものであるはずがなく、これは、国際人権規約B規約第14条1項(公正な裁判を受ける権利があります。)に反するものです。

・ 防御権の行使ないし、公正な裁判という見地からは、さらに、重要な事実が2つあります。
  1つは、彼らに有利な証言をしてくれる可能性が十分にあった、7人のうちの2人(B子さん、C子さん)を証人に呼ばなかったことです。私たちは、このB子さんに、昨年の5月に会って、話を聞く機会がありました。すると、B子さんは、スーツケースが盗まれた話など、有罪とされた5人が話した事実が、実際に起こった事実であると証言しました。現在、日本で生活するB子さんが、今さらうそを言う理由はどこにもありません。オーストラリアの裁判では、「作り話」として信じてもらえなかった話が、実は本当に起こったことだったことが明らかになったのです。
  この他、事件の鍵を握るキャリーの証人尋問も結局実現せず、重要な証拠を審理しないまま、裁判がなされています。これは、国際人権自由権規約(B規約)14条第3項e(被告人は、自分のために有利な証人の尋問を求めることができます。)に明らかに反するものです。
  2つ目は、彼らは、一人一人が、十分に自分の言いたいことを証言するために、裁判を一人一人別々にするよう、再三にわたって要求していました。しかし、裁判所は、露骨に、訴訟経済上の問題、つまり、まとめてやった方が安くつくと言うことを理由として、合同裁判としました。このため、5人は、結果的に、「自分の言いたいことを言えば、他の人に迷惑がかかるかもしれない。」と心配し、誰1人として、法廷で、自分の言い分を証言することができなかったのです。これでは、明らかに防御を尽くしたとは言えず、公正な裁判の名に値しないものです。


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